誰かにとっての悲劇が誰かにとっては人生を盛り上げる喜劇になるし、最高に笑える喜劇は最悪の悲劇でしかないことだってある。そしてその善悪を定めることは誰もできない。つまり誰でも定めていいものだし、逆に定義できないからこそ誰にも守ることができない。誰かが「これが真実だ!!」と思い込んでやった行為や信念が真逆の嘘偽りであった時、それを阻止していた人たちはどうなるのか。真実だと思い込んでる人にとっては悪であるが、俯瞰的に見れば善の存在である。世界とは混沌である、その真理を最も端的に啓示した恐ろしい言葉である。
これは、人を殺すという行為に結果が伴わないということではありません。それはあります。しかし、これらの結果は非常に些細なものであり、間違いの結果であることが多いのです。人が恐ろしい行為をした場合、その人は多くの後悔をするかもしれませんが、過ち以上のものを後悔することはまずないでしょう。自分の行為を防いでくれた人たちの行為を後悔することはないし、その瞬間に誰かが死ななければならない状況を作ってしまったことを後悔することもないだろう。しかし、彼は、それらの他の結果の存在を知り、知っていたならば、防ぐことができたであろう後悔を持つことになる。
悲劇は物語である。人生が全く異なる2人の人間が、それぞれの道を歩みながらも、お互いの人生を交差させていく物語です。The tragedy is a story of two people who both were thought to do what they think is right, and in the moment of action they realize they were incorrect thinking and acting 間違ったことをしていると思っていた二人の物語