誰かにとっての悲劇が誰かにとっては人生を盛り上げる喜劇になるし、…

誰かにとっての悲劇が誰かにとっては人生を盛り上げる喜劇になるし、最高に笑える喜劇は最悪の悲劇でしかないことだってある。そしてその善悪を定めることは誰もできない。つまり誰でも定めていいものだし、逆に定義できないからこそ誰にも守ることができない。誰かが「これが真実だ!!」と思い込んでやった行為や信念が真逆の嘘偽りであった時、それを阻止していた人たちはどうなるのか。真実だと思い込んでる人にとっては悪であるが、俯瞰的に見れば善の存在である。世界とは混沌である、その真理を最も端的に啓示した恐ろしい言葉である。

みんなが信じていることをみんなが信じていたら、誰もいなくなってしまう。そして、真実の概念そのものが問われている時代には、誰も何も守れなくなってしまうでしょう。私たちが考えているのは、みんなが何でも信じる社会、そして権威になるか消えるかの選択を迫られる社会です。

人類が大規模な変革を必要としているという事実以上に、これまでに明白になったことは考えられません。私たちの周りではすべてが崩壊しており、人類の未来は宙に浮いています。私たちは孤独だと言われています。取るに足らない存在だと言われてきた。愚かだと言われてきた。犯罪者だと言われてきた。しかし、それを信じてきたからこそ、そのようなことを言われてきたのであり、真実を知る機会を得たからこそ、今もそのようなことを信じているのです。

現在の状況を説明するには、2つしか考えられません。宇宙人の侵略があったのか、それとも私たちは自分自身に嘘をついてきたのか。

Photo by theslowlane

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