わたしは表現者になれない。

わたしは表現者になれない。アーティストになれない。なにもつくれない。のに、心は、心だけは、表現すること、生み出すこと、吐き出すこと、伝えることを欲している。そんな自分でも表現者とたり得るのだろうか?

何も一切形にできていないが、プロセスが表現者、思考が表現者と言ってもらえたこと。自分よりあきらかに表現者の人に、対等に話してもらえたことが、言葉にならずうれしかった。
みんな、戦っているんだ。

子供の頃から映画が大好きでした。私はゴイアス州立大学の映画学校の学生としてスタートしました。その間に、映画を作るための基本的な技術をいくつか身につけていました。

最初の映画は『The House That Wasn’t』という短編映画でした。主人公のセリアという少女がいました。彼女はとても素敵で、知的で、面白い少女で、彼女が住んでいた家の中にいました。警察が家に入ってきた時、彼女は一人で家の中にいました。彼女に怪我はなく、怪我をしたのは警察の方でした。彼女は病院に運ばれ、治療を受けた。映画は彼女が家を出て、自宅に戻ってくるところで幕を閉じた。

この映画がレイプの問題について何を言ったのか、大きな論争があった。スペインで公開されたときには、映画館で上映されていた。その映画はスペインで禁止され、私の映画も禁止されました。私は検閲の犠牲になりました。1993年のことです。

1995年には、有名なルイス・ブニュエル監督のアート映画の監督として雇われました。それは「エル・トポ」(El Topo)と呼ばれていました。

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