そうだったのか。

そうだったのか。池上彰はつぶやいた。言葉は重油のようにべっとりと心にまとわりついた。魂の中にある感情と理性のあらゆる生態系が暗黒によって汚され、窒息していく。そうだったのか。長い人生の中で知識は彼の仕事道具だった。深淵を渡る軽業士の綱だった。その知識に、今、彼は裏切られたのだ。知るべきではない真実が存在するなど、彼にはただの寓話でしかなかった。それなのに。そうだったのかと呟くたびに、魂が絶望で壊死していく。知識が罪であるという手垢のついた物語も、信じる者には絶対の真理である。その紙一重の落差を、俺は渡れなかったのか。喉の奥で舌を絡め取る言葉。命の息吹を根絶やしにしようとする震え。そうだったのか。

アキラは自分が揺らぐのを感じた。世界が薄れ始め、それに合わせて世界も薄れていった。彼は生きていることを思い出した。人に囲まれていたことを覚えていた。戦争で破壊される前に生きていたことを覚えていた。愛を覚えていた。人を。彼は愛する人たちに囲まれていた。彼は妻と子供に愛されていた。彼は妻と子供たちを愛し、友人たちを愛していた。彼は友人を、そして家族を愛していた。彼は家族を愛し、家族のために死ぬつもりだった。

彼の妻。彼女は、彼のために死んだ人だった。彼女は彼のために生きてきた人だった。彼女は彼のために死んでくれる人だった。彼女の名前はハナ。それが彼女の名前だった。彼女は、彼のために死ぬのだ。

だから

“クソッタレ”

風が吹いた。

アキラは空を見上げた。寒いけど、めちゃくちゃ青いんだ。こんなに大きいんだ。空をこんなに大きくするには何が必要なんだろう。何が大きければいいの?空が限界なんだよ。空が限界なんだ。

アキラは自分の手を触ってみた。指先まで真っ白で、震えていた。震えていた。推測できない何かのために震えていた。彼はその手を拭いた。

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