国語か道徳の教科書で一度はお目にかかるこの作品。

国語か道徳の教科書で一度はお目にかかるこの作品。
みなさんは太宰治の短編「走れメロス」にどのような印象をいだいているだろうか。
角川文庫から出ている『走れメロス』の背表紙ではこう評されている。
「身命を懸けた友情の美しさを描いて名高い」
少なくともきちんと大人になって再読するまで僕はこの作品にこういう感想をもっていたし、おそらく多くの人がそうだと思う。
すなわち精悍な主人公が友情のために命を投げ出す美談として。
しかし疑問に思ったことはないだろうか。
『人間失格』を書くようなあのナルシズムと自己嫌悪の間で揺れる大変いやらしい性質の作家太宰が、「身命を懸けた友情の美しさ」なんか描いて喜ぶもんだろうかと。

さて、最近になってこの短編「走れメロス」を再読して、僕は1つの確信を得た。
というのは、この作品は明らかに「バカ話」と意図して書かれている、ということなのだ。
そこで今回はこの作品がいかにバカ話か、みなさんにわかってもらいたい。

あらすじ

この作品がバカ話であることを証明するためには順を追ってあらすじをたどるのがいい気がする。
というより、あらすじを辿るだけで十分バカさ加減が伝わると思うので、そのほうが話は早いのだ。

それではいきなりですが問題です。
そもそもメロスが走らなければならなくなった理由である、親友のセリヌンティウスはなぜはりつけにされることになったのでしょうか。
①セリヌンティウスが王に反逆したため
②王がセリヌンティウスに言いがかりをつけたため
③メロスとともに王に反逆したため

~シンキングタイム~

シンキングタイム終了。普通に考えると、解答は③が多いような気がします。
では正解VTR。

久々に街にやってきたメロスは街の者から人間不信の王が人をすぐに殺すのだと聞き激怒する。
そしてその足で王を殺しに城に飛び込んでいったところ、すぐに守備兵から取り押さえられてしまう。
反逆者メロスの存在を知った王は激怒、「オマエぜってえ殺す」と息をまいている。
それに対してメロスは答える。
「わかりました。ただ3日待ってください。死ぬ前に妹の結婚式に行きたい。その間、代わりにセリヌンティウスを差し出しますんで」

というわけで正解は④の「なぜかそういうことになった」、でした。
いたいいたい、ちょっと空き缶を投げるのはやめてほしい。そもそも僕は選択肢から選べとは一言もいってはいない。
ただ本当にそうなのだ。
メロス激怒から王激怒の一連の流れに、セリヌンティウスは一切関与していない。
恐ろしいことに、彼はメロスの手によって突如として平穏な日々からはりつけ刑へと転落したのだ。
その暴挙は彼にとって青天の霹靂であったと想像する。
「私が逃げてしまって、三日目の日暮れまで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。たのむ。そうしてください」(まま引用)
そんなメロスの念の押し方が僕は怖い。

さて引き続き物語を辿ってゆく。
セリヌンティウスに刑を押し付けたメロスは、なるほどとにかく走った。
ふるさとへの10里の距離を、夜を徹して走った。そしてふるさとについたのはあくる日の朝だった。
なお1里は4kmであるから、その距離は40kmに相当する。
フルマラソンの距離に匹敵するほどの距離だ。
しかも彼はその距離を、夜通し(おそらく10~12時間ほど)で走りきってしまったのだ。
単純計算すると時速3~4kmほどになるので本当に走ったのかいささかの疑問も残るが、走ったものは走ったのだ。
道もまあ、あれだったろうし。夜道だし。

それでようやくふるさとについたメロスは、急遽結婚式を明日にすることを妹とその婿に告げ、死んだように眠る。
まあ疲れていたのだ。フルマラソンを走ったあとなわけだし。
たとえ自らはりつけにさせたセリヌンティウスが待っているとしても、そりゃ誰だって寝る。
とにかくあくる日(2日目)、妹の結婚式が開かれる。
そして幸せな妹夫婦の姿を見届け、無事その宴も終わるころ、メロスは出発を決意する。
本当はここにずっと暮らせたらと思っていたが、今はセリヌンティウスが自分のことを待っている。

さてここでクエスチョン。
妹の結婚式を見届けたメロスは出発を決意しましたが、その直後彼は何をするでしょう。
①妹に別れを告げる。
②村のものに妹夫婦のことを頼む。
③寝る。

お察しのとおりだといいたい。
正解は③の寝るなのだ。
たとえ自らはりつけにさせたセリヌンティウスが待っているとしても、まあ酒も入っていたし、ちょっと気持ちよくなっちゃって。

それで起きたら夜が明けていた。
いよいよタイムリミットの3日目だ。
結婚式が終わってからすぐに出発していればこのあとの苦労もなかったろうに、とにかくこのタイミングで寝るという選択ができるダメ男メロス。
そこにノビタをほうっておけないしずかちゃんの愛情を抱かずにはいられない僕だ。
しっかりして、メロスさん。
それで寝覚めいっぱつ、いけねえこいつぁ寝坊したと焦って出発するメロス。
それから隣村まではとにかく走った。
ちなみに小説での説明から察するに、隣村までは2里(8km)だ。
たしかにこの距離は走ったのだと明記しておく。

さて、隣村についたノビタ・メロスは、ここでまたしてもノビタ的発想を遺憾なく発揮する。
もう隣村についたでしょう?タイムリミットは夕方でしょう?そんなに慌てることなくない?
そんな甘ったれたことを考え始める。
ダメだよメロスくん。君はまだ8kmしか走っていない。
あと32kmのこってるんだ。
だからたのむ、少し慌てろ!
そんな読者の心配をよそに、案の定ノビタ君は、いや、メロス君は「好きな小歌をいい声で歌い」「ぶらぶら歩」(まま引用)きはじめる。
いーそーげーよー!
なおその後彼がぶらぶら歩いた距離は3里(12km)、さきほど走った距離よりも長いことを付け加えておく。

とまあ、ここまでのあらすじを見て、読者諸兄もお気づきになったことだろう。
そうなのだ。
この男はちっとも走っていないのだ。
40kmに10時間以上かけた時点でちょっとおかしいなとは思ったのだ。
どんなに贔屓目にみても、時速4kmは明らかに徒歩の速度である。
しかしこれですべて明らかとなった。
この男、恐らく行きもろくに走ってなかったのだ。
また同時に聡明な読者ならば、そろそろ今回のこの記事のタイトルの意味にもお気づきではないかと思う。
「走れメロス」
この短編のタイトルの意味を僕はこう考えている。
これまで「走れ」とはつまり、応援や激励の意味をこめた「走れ」なのだと思っていた。
「それいけ!アンパンマン」の「それいけ!」みたいなものだと思っていた。
しかしどうも違うなというのが、メロスを再読した僕の感想なのだ。
つまり、激励ではなく、頼むから「走れ」とか、てめえ「走れ」など、つまり単純に命令形の「走れ」なんじゃないかと。
つまり僕はこのタイトルの意味を、本当はこうだったんじゃないかと考えているのだ。
「もっとまじめに『走れメロス』」

まあとにかくかくして復路についたメロス。
これまでに行数をやたら使ってしまったので、残りはダイジェストでいく。

・ルンルンで歩いているメロスの眼前に突如氾濫した川が現れる。
それに対するメロスのリアクション

→泣く

・山賊に襲われ疲労困憊する。
それに対するメロスのリアクション

→泣く

・もうどうでもいい、という気持に襲われる。
それに対するメロスのリアクション

→まどろむ

・それから本腰を入れてようやく走りはじめ、やっとの思いで町に到着。そこで3日間自分の身代わりをしてくれたセリヌンティウスが、私はお前がこないのではないかと疑った、と語る。
それに対するメロスのリアクション

→殴る

もうめちゃくちゃ。
この記事を書いていて、メロス=ノビタ説をますます確信している僕だ。
「走れメロス」は一般に「身命を懸けた友情の美しさを描いて名高い」作品として評される。
げんに僕はてっきり、心身ともに精悍な男が捕らえられた友のために走る物語なのだとばかり思っていた。
しかし実際には単純で熱しやすい正義漢のダメ男が泣き言を言いながら歩く、というのがこの作品の大筋なのだ。
出木杉君が主人公かと思っていたら、実はノビタが主人公だった。
それくらいの違いだ。
ただここで注意しておきたいのは、僕は、だからがっかりだとか、だからつまらないなんてことを言っているわけではない。
むしろ逆なのだ。
その説明は簡単で、出木杉君とノビタ、どちらのキャラクターが魅力的かということなのだ。
つまり、メロスというキャラクターは、実は一般に思われているものよりもずっと、ダメなやつ=愛すべきやつだった。
そういうことを言いたいのだ。

さて、メロスがセリヌンティウスが待つ城に到着したのち、実は盛大なオチがあることを知っていたろうか。
僕は知らなかった。
どうも道徳だか国語だかの教科書等に掲載される際、そのオチは「教育的配慮」のもとに削除されていたと聞く。
だからかつて教科書等でこの作品を読んだはずの僕にもそのオチの記憶がまったくなかったのかもしれない。
どんなオチかというのはここでは書かないので、気になる人は原作をチェックしてみてほしいのだけど、とにかくそのオチのワンシーンが書きたいために、太宰はわざわざメロスの物語を書いたのではないという気さえする。
野比メロスが最期に英雄として賞賛されるんだけど、結局やっぱり抜けていて完璧にはかっこうつけきれない。
そんな、バカ話メロスのラストにふさわしい「バカ」がそのオチにはあるのだ。

そんなわけで、オチも含めて、メロスの再読をおススメ。

何度繰り返してもこの物語の本質には到達しないということを

この短編小説を見なければなりません。

最低でも読むべきです。

この物語の冒頭ほど、原作者の魂がこの物語に深く込められていることを確信させられるものはない。

主人公のメロスが学校に向かって歩いていると、一人の少年が彼と並んで歩いているのが目撃される。その少年はメロスにとって見知らぬ人ではありません。彼はメロスの友達なのです。

メロスが挨拶しようと振り向くと、その少年は名前を名乗ろうともしません。

“こんにちは、私はメロスです」と彼は言います。

メロスは自分の名前を理解していないので、「あー」としか答えられません。

まるでメロスは友達の顔を見たくても名前を知らないようだ。

“やあ、メロス。変な名前だな。君の名前は?”と少年は尋ねる。

“知らないよ”

メロスにとってはあまりにも奇妙な名前なので、ショックを受けそうになります。

“やあ、僕はトルーと呼ばれています。トールーで行った方がいいよ」とトールーは言う。

メロスは自分の名前を理解していないので、「あー」としか答えられません。

“私を知っているのか?とメロスが尋ねる。”私の本名を知っているのか?”

トールーはボットすらしない。

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