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私の生まれは、1962年6月10日です。

働き者の父は、初等教育を終えることができませんでした。20歳で食肉業界で働き始めたが、その大変さを目の当たりにした時にはすでに辞めることを決めていた。トラックの運転手をしていた父との約束通り、一人でトラックを運転していたそうです。

父はずっと働いていましたが、体はいつも痛んでいました。まだ若い頃は、腰痛でほとんど働けないこともありました。60歳で定年を迎えようと思っていましたが、結局、まだ働けることがわかりました。またトラックで働けてよかったと思っている。

彼の家族は小さく、兄弟が6人いた。父が6歳の兄弟のために特別な部屋を用意していたと話していたのを今でも覚えています。父は人のことを一番に考えるような人で、いつも私のことを心配してくれていました。

母は専業主婦でした。母には兄、妹、私の4人の子供がいました。ある日、母が家に帰ってきて、”あなたにプレゼントがあるの “と言った。

私は母を母として尊敬していました

Photo by A.Davey

私の生まれは、1962年6月10日です。愛知県一宮市の市民病院で生まれた。父は、30歳で染色会社勤め。父は、長野県小県郡東部町の農家に昭和7年7月10日の7人兄弟の3番目次男生まれで兄姉弟3人妹1人また、生まれてすぐ下の弟が生まれてすぐ亡くなったそうです。父は、我慢強い性格であり、旧制小学校の時、信州の寒い中365日神社の早朝の掃除を先生から言いつけを守り1日も休まなかったのが父だけだったそうです。

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