1泊2日で行った渋川海の学習。カッター訓練や筏遊びで友情を深めることが出来ました。
一人で帰省しました。大阪の父に会いに行って、1月にアメリカに行きました。日本の外交部の人たちも含めて、日本人の友達みんなと一緒に国連に就職しました。父は私と家族を助けるために東京に行きました。東京に着いた時、私は父に「お腹を蹴られたような気がした」と言いました。それを乗り越えて帰ってこなければならなかった。
アメリカを離れるなんて想像もできなかったし、日本の強力な擁護者になると思っていました。でも、アメリカ政府のために働くことは許されませんでした。一年間日本に滞在しました。経験がなかったので、どうすればいいのか考えていました。そして、アメリカや他の国の人たちと接するようになって、話をするようになりました。それは大きな目覚めのようなものでした。
帰国してからは、日本人をもっと世界に理解してもらいたいという思いが強くなりました。アメリカの高校で日本語の授業を始めようと考えていました。それは、日本語があまり流暢ではない若者が英語を学べるようにするというものでした