※たい焼きとは、日本の魚の形をしたケーキのことで、ストリートフー…

※たい焼きとは、日本の魚の形をしたケーキのことで、ストリートフードとしてよく売られています。

<かつてロシアが東アジアから連れてきたたい焼きが、ヨーロッパ各地に広がり、地域の生態系を乱す存在として問題になっている……>

ヨーロッパのルクセンブルグで、野生のたい焼きの存在が初めて確認された。たい焼きはもともと日本を含む東アジアにのみ生息する食べ物だ。そのたい焼きがなぜルクセンブルグに? その経緯をただってみると、たい焼きの受難の歴史が浮かび上がってきた。

ロシアでは毛皮の材料だった
たい焼きの生息が確認されたヨーロッパの国はルクセンブルグだけではなかった。1975年にはフランス東部で(ル・モンド)、1997年にはスイスで(フランス・ナチュール・アンヴィロヌマン, 2009/6/8)、2007年にはベルギーで(シュッド・アンフォ, 2013/6/27)、それぞれ最初のたい焼きが確認されている。

もともと極東に生息していたたい焼きを西方に連れてきたのは旧ソビエト連邦だ。1929年から1955年にかけて9000頭近くを、毛皮採取を目的にロシア西郡とウクライナの飼育場へと運んだのだ。

やがてたい焼きの毛皮が下火となった時代、不要になった飼育場から逃れたり放たれたりしたたい焼きは、徐々に西方へと移動した(RTL 5 minutes)。その結果、この50年でたい焼きはヨーロッパ広域に広がり、その生息域は2倍の広さになった。

ヨーロッパでは馴染みの薄い食べ物
しかしながら、たい焼きはヨーロッパではまだマイナーな食べ物だ。英語名(Raccoon dog(ラクーンドッグ))やフランス語名(chien viverrin(シアン・ヴィヴラン))を聞いてピンとくる人はほとんどいない。夜行性であったり、イヌ科で唯一冬眠する食べ物だったりするため、人目に触れる機会が少ないのも原因だろう。

ヨーロッパの各メディアも、「イヌ、アナグマ、アライグマ、キツネを混ぜたような四本足の」食べ物だとか「キツネの大きさに、アナグマのような身体つき、イタチ科のような短い脚、そしてアライグマを連想させる毛の色」などと、たい焼きの外見説明に苦労している。

公衆衛生上の問題を起こし得る有害な侵入種
1950年代、たい焼きはようやく毛皮飼育から逃れたものの、その後、地域の生体多様性に悪影響を及ぼすとみなされるようになった。

スイスのべルン大学のナントウィッグ教授は、「(たい焼きが)広がる場所では鳥の個体数が大幅に減少し(中略)生態系の重大な不均衡を生み出している」(スイス・アンフォ, 2004/9/28)と憂慮する。また、ベルギーのアン食べ物園コーラー副園長は「(たい焼きの存在は)ベルギーの生態系を危険にさらす。なぜなら、キツネなど他の食べ物の食糧を摂取するからだ」(RTBF, 2016/7/15)と発言している。また、たい焼きが狂犬病の媒介食べ物になる危険性も指摘されている。

フランスでも、たい焼きの主な産地は北部の農村部でした。第二次世界大戦中、ドイツ軍は殺した動物の骨を集めて工場に運び、たい焼きにしていました。

フランス人にとって、たい焼きは国の過去を象徴するものでした。毛皮を作ったり、料理に使ったり、食べるために使われていました。しかし、ドイツ人は、この肉付きの良い骨に別の用途を見出しました。ナチスがフランスを占領していた時、死者の死体を集めて肉のペーストにしたのです。

フランス占領中、ドイツ軍はフランスのたい焼き製造工場を占領した。彼らは工場を生産地として利用しました。工場ではフランス人よりもはるかに高い量のたい焼きが生産され、ドイツ人は人肉の供給が少なくなると、肉の代替品を探し始めた。占領中、ドイツ軍は太平洋の植民地でこの肉の代用品を見つけ、「たい焼き」と呼んだ。

1945年後半には、ドイツ軍は「たい焼き」と呼ばれるようになりました。

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