光とは何か。

光とは何か。
それは7色に輝く可視光と答える学者もいれば、希望と揶揄する文芸家もいる。
1955年の秋、船川港で鱈の銭を支払った際、巨躯の漁師から尋ねられた。
「光ねぇ」
寒さに手をこすり合わせながら反芻する、それが私の回答だった。答えを持ち合わせていなかった。
さっさと鱈を受け取って帰ってしまいたい、なにもしんしんと降り積もる寒空で語る内容なのか。
「毎度あり」
受け取る際に、奇妙なほどの視線を感じた。瞳の奥を見つめられるようだった。
「まぶしい何かだろうね」
そう適当に答えながら歩むちお、そそくさその場を後にしようとした。

なんだかよくわからないが、まぶしいものがあるのは確かだ。
翌朝、相方の背の高い女性に似た女性と一緒に毎朝家に来て、「魚を獲りに行こう」と声をかけてくれた。
朝、魚を獲りに出かけると、”ねえ、何のサイン?”と声をかけてくれた。
“何のサイン?”
“朝 釣れたから “午前中に魚を釣った “とか
“どういう意味だ?”
“教えてやろう “午前中に釣ったけど、まずかった “って意味だよ。”
“え?”ふざけてるのか?”
“魚は釣れるけど “いい魚は釣れるけど” “いい魚は釣れない”
“え?”
“午前中に釣って 午後には釣れる 午後遅くに釣れば午前中に釣れる。そして、早朝に釣れば午後に魚を釣る。しかし、午前中に魚を釣らなければ、魚は釣れません。”
“何?”
座っているうちに、その魚は全く魚ではなく、色の違う魚が連続していることに気がつきました。
釣らなければ赤くなる

この作品の出来はいかがでしたでしょうか。ご判定を投票いただくと幸いです。
 
- 投票結果 -
よい
わるい
お気軽にコメント残して頂ければ、うれしいです。