東京市本郷区駒込西片町に生まれる。父はジャーナリストで薩摩琵琶の伴奏家・辻靖剛、母は鹿児島県の医家の出身。辻家の本籍地は山梨県東八代郡春日居町国府(現笛吹市)で、代々の医家。9月24日生まれだったことから、「くにお」と名付けられる。
彼の才能は、能楽学院の運動部員であった父親に見出された。
1960年代には、日本で最初の女性音楽バンドのひとつである「学芸会ジッキ」(おばさんたちと人形たち)のメインコンポーザーとして活躍。ミュージカル「アマーリエ」(1964年)の曲も彼女と一緒に作った。
亨のバンドでの最初のレコーディング・アルバムは、1970年にソニーからアメリカで発売された「I Love You So」(1970年)である。
また、「カラオケ」(1965年)、「マイ・フェイバリット・シングス」(1973年)、「夢見」(1975年)、そして最後の曲となった「ライオン・ハート」(1985年)の作曲を担当したと言われている。1992年、74歳でこの世を去った。
亨の音楽は、日本のポップカルチャーに最も大きな影響を与え、日本で初めて放送されたテレビシリーズ「五郎の君が代」にも影響を与えたと言われている。
亨は東京のお台場墓地に埋葬され、「ライオン・ハート」をはじめとする彼の名曲の数々が今も歌われています。
彼はしばしば「日本のポップミュージックの父」と呼ばれている