しかし、主イエスは彼女の願いを直ぐには聞かれませんでした。

しかし、主イエスは彼女の願いを直ぐには聞かれませんでした。27節ですが、主イエスは「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、小犬にやってはいけない」と彼女の願いを切り捨てるように言われました。「子供たち」というのはイスラエルの民のことです。「小犬」は異邦人のことです。この27節の表す意味は、「私の救いや恵みは神の子供であるイスラエルの民のものであるので、小犬に等しい異邦人に与えるわけに行かない」、というように取れます。ただ、順番として、まずイスラエルの民を救い終わるまで、あなたたち異邦人に救いを分け与える訳には行かないとも聞こえます。いずれにしても、これまでも多くの人々を惜しみなく救われておられる主イエスの言葉であると思えない言葉です。また、当時のユダヤ人にとって犬は忌み嫌われる動物で、犬の立場は非常に悪い時代で、死骸をあさったりする凶暴で不浄な動物と見なされていました。それは飼い犬ではなく野犬の事でありますが、確かに飼い犬とは違い、野犬は恐ろしい動物です。当時のユダヤ人は異邦人に対し軽蔑の意味を込めて犬と呼ぶことがありました。ここでは主イエスは小犬と言っておられますが、女性に向けて犬呼ばわりされたのです。侮辱的で差別的な言い方のように思います。主イエスが本当にこのようなことを言われたのかと、半信半疑な思いもあります。もし本当であれば、この女性の立場に置かれたなら、大半の人は「小犬とはなんだ、もう、あなたになんか頼まない、もう何も話すことはない」と怒って、その様な人にひれ伏して願った自分の行動を後悔しながら、悪態をつきつつその場を去るのではないかと思います。あるいは言われている意味が理解できずに呆然とするだけかも知れません。ただ、主イエスには優先順位がありました。イスラエルの民はヤーウェと契約を結んだ民であり、その契約を反故にし、罪に陥っており、主イエスはその罪を贖うために神の御子として遣わされたのでありますので、まず契約の民への福音伝道と救いを優先したのであります。そうであったとしても、主イエスのシリア・フェニキアの女性に対する言葉は荒い言葉であり、現代のネット社会であれば大炎上しているところであります。元総理の軽はずみの一言が国上げての大きな問題となる時代です。しかし、この女性は主イエスの言葉を直ぐに理解して、逆に鋭く切り返し、詰めるのであります。

同じ章の28節、「律法の言うことは、してはならない」とありますが、「姦淫をしてはならない」とイエス様はおっしゃっています。私の救いと恵みは、神の子であるイスラエル人に属するものだから、小犬にも劣る異邦人には与えられない」と言っているのです。しかし、イスラエル人をすべて救い終えるまでは、あなた方異邦人にも救いを分け与えることはできないと言っているようにも聞こえます。これは、ヘブライ語の聖書に書かれていることです。しかし、主イエスは、彼女の要求をすぐには聞き入れず、27節で、「まず、子どもたちによく食べさせなければならない。子どもたちのパンを取って、小犬に与えてはいけない」と、彼女の願いを退けた。子供たち」とは、イスラエル人のことです。子供たち」とはイスラエル人のことで、「小犬」とは異邦人のことです。27節の意味は、「私の救いと恵みは、神の子であるイスラエル人に属するものだから、小犬にも劣る異邦人には与えることができない」と受け取ることができます。しかし、「私の救いと恵みはイスラエル人のものだから、小犬にも劣る異邦人に与えることはできない」と言っているようにも聞こえます。

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