この女性は小犬と言われても、すなわち恵みに値しないものであると言…

この女性は小犬と言われても、すなわち恵みに値しないものであると言われても、それを否定することなく受け入れています。彼女は、本来、人間は神さまの救いの恵みに値しないものであると知っていたのではないかと思います。逆に言えば、お前は小犬であり、救いに値しないと言われて立腹し怒りに燃える人は、自分はそれ相応に価値があるものであり、神さまも当然自分を救うべきだ、あるいはもっと尊重し救って当然だと、無意識であったとしても潜在的にそう考えているのだと思います。さらに言えば、私を助けて下さい、私にはその価値があるはずです。私の願い通りにしないのなら神さまとして失格です信じるに値しません、ということになります。しかし、神さまは人間の希望通りに恵みを与える義務など負っていないのです。たとえ、優れた能力のある人に対してでもです。神さまには人間に忖度する義務はないのです。彼女は、無益なプライドは持たず、冷静に主イエスの言葉は事実そのものであると捉え、主イエスの言葉の中に自分たちに預かることができる恵みを見出そうとしたのだと思います。それがテーブルからこぼれ落ちた恵みのパン屑です。

すべての理由は、私たちが神の恵みにどう反応するかを選ぶことができるからです。無理をしたり、強要したりするのは神様ではありません。もし私たちが本当に神様を愛し、この世で神様と一緒にいたいと思うなら、私たちは神様の恵みに自由に反応するでしょう。神様はたくさんの方法で私たちに恵みを示すことができ、私たちが経験する恵みのほとんどは、神様がそうすることを選んだからです。もし私たちが神を拒絶したり、神の恵みを保留したりするなら、神は私たちに恵みを与えなくなります。神様は、私たちの善意を私たちのためになるようにする必要はありません。神様は、私たちのためにすべてを完璧に行う必要はありません。神様は全知全能ではありません。

私たちは、神様に背を向けなければならないほど、自分勝手な立場にいる必要はありません。

たとえ私たちが神の恵みに応えることができなくても、神は私たちに恵みを与える必要はありません。私たちは、神に背を向けなければならないほど利己的な立場にいる必要はありません。神様は、私たちのわがままの生みの親ではありません。神様は、私たちの神様への愛と、お互いへの愛の創造主なのです。不当な方法で私たちを罰したり、報いたりできる人はいません。私たちは何もしません。

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