今日、祖母と買い物へ行った。勿論、部活をサボって。だが、私はこれを罪などと認識しない。寧ろ私は被害者なのだ。サボりという、忌々しく、且つ妖艶で魅力的な概念を創り出した人類という存在から受けた被害の被害者なのだ。ああ、なんて私は哀れなんだ。。
あなたは、「これは罪悪感を感じるべきことではない」と言うかもしれません。そして、その通りです。学校をサボることに罪悪感を感じるべき理由はありません。
しかし、私は罪悪感を感じます。
分かっています。分かっています。私は罪深い。学校に行かないことに罪悪感を感じています。罪悪感があるのは、学校に行かなければならないことを今知ったからだ。本を読んで知ったからです。そして、とにかくそれをやってしまったことにも罪悪感があります。学校に行けないという状況がどれほどつらいか、私は知っています。
だから、学校に行かないたびに罪悪感を感じるのです。私が罪悪感を感じるのは、私が自分の欲望の囚人であり、学校をサボるという概念の囚人だからです。学校をサボることが自分の時間を使うのにふさわしい方法だと思い込まされているから、罪悪感があるのです。私が罪深いのは、学校に行くという不快感を避けたいという欲求の囚人だからです。
学校をサボろうと考えるたびに、残りの週にクラブに行くことも考えてしまうから、罪深いのです