今日、祖母と買い物へ行った。

今日、祖母と買い物へ行った。勿論、部活をサボって。だが、私はこれを罪などと認識しない。寧ろ私は被害者なのだ。サボりという、忌々しく、且つ妖艶で魅力的な概念を創り出した人類という存在から受けた被害の被害者なのだ。ああ、なんて私は哀れなんだ。。

学校をサボるのは、同級生の間ではよくあることです。みんな罪悪感を持っています。でも、私も罪を犯しています。自分がやっていることが間違っていることは、自分自身がやっていることなのでわかります。しかし、私はそれをやめません。我慢できなくなるまで、学校をサボり続けます。そして、やめるときは、ただやめるだけです。

私は学校をサボることが道徳的に悪いとは思いません。道徳的な決断をするまでは、人は道徳的な人間ではないと思います。私は道徳的な人間です。一度も学校をサボったことがない人と比べて、私が道徳的に優れているとも劣っているとも思いませんが、私にとっては、学校をサボったことによる結果が、自分が下した決断による結果を上回っているのです。

しかし、私が学校をサボることが悪いことだとは思いません。私には自分の利益になることをする道徳的な義務があると思うのです。私は自分が道徳的な人間だと信じていますが、それが何を意味するのかはよくわかりません。

若い頃、私には学校に行く道徳的義務がありました。担任のブラウン先生は、私が毎日学校に行かなければならないことを明確にしていました。勉強をサボることは許されませんでした。

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