上手く説明するのが難しいし、かつ自分以外の人も似たように感じてい…

上手く説明するのが難しいし、かつ自分以外の人も似たように感じているのかは定かではないのだけれど、僕が思うに\"鬱\"と\"悲しみ\"は少し違う。 重みに押しつぶされてしまいそうに感じたり、息が出来ないような、とでもいうのか、ゆっくりと溺れていくような気持ちで、刺すような悲しみとでもいうのか、強いネガティブな感情というのとは違うように思った。 逆に、むしろ毎日のように死にたいと思っていた日々の中で\"悲しい\"出来事というのはあまりなかったように記憶している。 何故なら、死ねば良いから。 いわゆる\"無敵の人\"という表現があると思うが、この状態と似ている。(個人的にはこの言い方はあまり好きではなくて、敵がないというより全てが敵の人、のような言い方の方が的を得ているようには思うが) 別に自分の人生が今日で終わっても良いと考えている以上、その中でどんな出来事が起こってもそこまで真剣にとらえることはできない。 すぐにでもやめる気でいるゲームをプレイしている最中にゲーム内で強敵が現れたりしてもそれに一喜一憂したりはしないのと同じだ。別にうまくいっても嬉しくないし、逆にうまくいかなくても、どちらにしろクリアしたいと思っておらず、電源を切るタイミングを窺っているだけなのだからゲーム内で躓いても別に悲しいもクソもない。 したがって、人生を終わらせたいという気持ちが非常に強まると人生の中で起きる出来事に対して幸せや悲しみを感じづらくなっていったのだけれど、そんな中でも唯一僕が衝撃的だった出来事、というか自分の中で非常に悲しく思った出来事があった。 出来事というよりも、単なる自分の中での発見なのだけれど。 それは、僕が『世界中の自分以外の人が死んでも特に悲しいと思わない』という事実だった。

[6] “Laughter and tears”
8】 間違っている可能性もありますが、日本の視聴者の大半は、私が英語のネイティブスピーカーであることを知らないと思います。    ですから、よく出てくる表現ではありますが、日本に行ってからは使っていないというのがポイントですね。
[7] “I can’t do this anymore”
9】これはとても書きにくい表現でした。
[10] “恥ずかしいけど、泣かないといけない”
[11] “泣いてばかりでは何にもならない”
12】どちらも悔しいという気持ちを表すのに使われていたと思うのですが、代わりに「泣く」という表現にしました。
[13] これはどうしても捨てがたい

Photo by d.arcaya.arrillaga

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