父親や母親に祈る感情がいま自らが抱いている感情と同じなのか。

父親や母親に祈る感情がいま自らが抱いている感情と同じなのか。あるいは模倣しているこの感情は本物よりも遥かに温かいのか。自らの冷たい手のひらではわかろうものもない。
 ただ贅沢を言うのであれば、この押し留めることのできない気持ちをわかってほしいと考える。

まだ早朝の時間帯だが、空が明るくなってきた。
私は深呼吸をした。
そして
“どうしたの?”
“何か考えていたけど、どうしよう?”
ぐるぐると歩いていたのは、自分が隠れられる場所を探すためです。
自分の部屋に戻ってお風呂に入ることで、自分の本当の気持ちを他の人に隠そうと思っていただけなのです。
“そういうことなら、私も一緒に行こうかな”
“でも、あなたがあんなにグルグル歩いているのを見たのは初めてじゃない?子供の頃のあなたの姿が思い浮かびます”
“何でもないよ。何か考え事をしながら歩いているだけだよ”
“恥ずかしいな”
“でも、してはいけないことをしてしまったんだよね”
“それでは…部屋に戻ってお風呂に入ってから出かけようかな”
“ああ、ごめんね。”
“いや、初めてなのはわかっているし、さっき説明しなかったのは悪かったけど、…服は着たままの方がいいよ?”
“はい、申し訳ありません。”
“他にも謝るべきことがあるかもしれませんね。

Photo by Office of Governor Baker

この作品の出来はいかがでしたでしょうか。ご判定を投票いただくと幸いです。
 
- 投票結果 -
よい
わるい
お気軽にコメント残して頂ければ、うれしいです。