旅から帰ってきた「ぼく」が住むことになったのは、小田原の狭い谷間…

旅から帰ってきた「ぼく」が住むことになったのは、小田原の狭い谷間の山の上にある家だった。
大学時代からの数少ない友人である雨田政彦が、空き家の管理を兼ねて住まないかと誘ってくれたのだ。
そこは、高名な日本画家である雨田政彦の父親・雨田具彦(ともひこ)が、創作の場として使っていた別荘だった。
雨田具彦は、著名な日本画家ではあったが、人ぎらいでほとんど隠遁生活を送るようにしてそこで創作活動を行っていた。
しかしながら現在は、90歳を越えて認知症を患い、療養施設に入院している。

“私 “はまだ大学時代に友彦さんと知り合ったのですが、その後何年も面会に行くことはありませんでした。
一年ほど前から面会に行くようになった。
“私 “は雨田雅彦という作家の女友達と一緒に暮らしていた。
雅彦も私も同じ家に住むことになった。
朝は駅まで行って、JRの小田原行きの電車に乗っていました。
東京から帰ってきてからも、駅に行ってもう一本。
一度に2時間くらい行ったり来たりしていました。
同じ家に戻ってくるんですよ。
空いた時間には、自転車で山に行きました。
自転車に乗るための山道が2つありました。
私たちは山の左側の山を登っていきました。
私たちは山の右側の山を下っていきます。
急勾配で地形が難しいので、この方法しかありませんでした。
また、私たちは木の階段を使って山を上り下りしました

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