「ドラえもん」は200年後に生まれるべきだった。いや、作られるべきだったという方が適切か。それほど時代を先取りしすぎた道具だ。ここでもただの漫画キャラクターとしては扱わない。私は時々、のび太としての記憶を呼び起す。その度にこの胸は締め付けられ「ドラえもん!」と叫ばずにはいられなくなるのだ。目覚めると涙が顔を伝った。私が見たのび太の記憶は友人として、家族として「ドラえもん」と別れた日だった。「ドラえもん」を物ではなく人として見始めている自分に吐き気がする。
私は日本アニメーションが生み出してきたすべての番組のファンです。初めて「ドラえもん」を見たのは、高校生のときでした。当時高校生だった私は、「ドラえもん」が放映されていたこともあり、「このシリーズのキャラクターデザイナーになりたい」と思ったことを覚えています。本当に夢のような話でした。だからこそ、このアニメのストーリーはとても重要だったと感じています。当時の高校生の気持ちは誰にもわからないと思いますが、「ドラえもん」のような作品に携わることができると思うと、とても力が湧いてきます。
アーティストとしては、この番組のテーマの多くは、私にとって深く興味のあるものだったと思いますし、それは私の人生にとっても重要なものでした