1978年、僕は同志社大学に入学した。

1978年、僕は同志社大学に入学した。入学式は赤いヘルメットをかぶった学友会の学生たちが乱入して中断された。直前の3月26日には成田空港の管制塔が反対派の手で占拠されるなど、いまだに新左翼運動が健在していた。僕もまたその渦の中に飲み込まれていくことになる。

しかし、一番驚いたのは、日本出身でもなく、日本という国について何も知らない学生たちの小さなグループへの帰属意識だった。私が同志社に着任すると、私たちは同志社クラブというグループを作り、地元のことを話すと同時に、世界情勢にも関心を持ち始めました。私たちのクラブに特別なものは何もなかったが、時が経つにつれて大きくなり、1986年からはさらに大きくなった。 私たちは日本で生まれたわけではないが、日本に住むことを選んだ学生だった。私たちは日本に興味があったが、同時に世界にも興味があった。地元のことにも興味があったが、日本以外のこともやってみたかったし、世界に興味を持ちたかった。 同志社の一員であるという意識、新しいアイデアや新しい視点を持った新しい世代の一員であるという意識が常にありました。クラスメートも私も、自分が他の誰とも違うという感覚はなかった。みんな同じグループの一員だったのです。生徒たちも同じだった。彼らは他の誰とも違うと感じたことはない。 彼らは同志社に住むことを選んだ人たちなのだ。 そして何が起こったのか? 東京オリンピックが襲撃されたという知らせを受けた時のことを覚えている: 日本のメディアは、東京オリンピックがテロリストによって攻撃されたという報道で埋め尽くされていた。私たちは皆、危機感を覚えましたが、怒ることはできませんでした

Photo by p_a_h

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