マチルドと初めて会ったのは1985年のパリであった。彼女は自閉症を患いつつも、図書館司書として生活の糧を得ていた。すでに両親は他界しており、親しい友人もなく、天涯孤独の身の上であった。彼女のタスクはいかにしてすべての行為を日常化していくか、その一点にあった。あれは5月の薫風が吹くリヨン駅。コルシカ旅行を終えてマルセイユ経由でパリに入った僕との運命的な出会いであった。
私は最近フランス旅行から戻り、フランス南部のモンペリエで夏を過ごすために母国に戻る準備をしていた。私は会議のためにモンペリエ行きの列車に乗っていた。列車を待っている間、マチルドには会わなかったが、パリを発つ直前、彼女が仕事場から姿を消したのに気づいた。列車に乗って40分ほど経ったとき、マチルドがもういないことに気づいた。彼女は忽然と姿を消したのだ。 マチルドは仕事場で水を片手に新聞記事を読んでいた。私は席を立ち、彼女の方に歩いていった。 「何かご用ですか?と私は言った。 「と私は言った。 私は彼女に水とグラスを差し出した。 彼女は水を一口飲み、私を見て立ち去った。1987年の夏に私がフランスに戻るまで、彼女に再び会うことはなかった。 その年の暮れ、マチルドはオランダの新居に移った。彼女は1992年に再びパリに戻り、私と一緒に住むことになった。マチルドはオランダへの旅で大変お世話になった。 この小さな出会いは、偶然かもしれないが、私の人生を大きく変えた。 父は1970年代後半に亡くなっていた。私が幼い頃、母は父の事業を引き継ぎ、経営を手伝っていた。私たち二人がどうやって支え合っていくかを模索していた、人生の中で困難な時期だった。もし母が事業を引き継がなければ、私は父を亡くしたままだったと思う。