マチルドと初めて会ったのは1985年のパリであった。

マチルドと初めて会ったのは1985年のパリであった。彼女は自閉症を患いつつも、図書館司書として生活の糧を得ていた。すでに両親は他界しており、親しい友人もなく、天涯孤独の身の上であった。彼女のタスクはいかにしてすべての行為を日常化していくか、その一点にあった。あれは5月の薫風が吹くリヨン駅。コルシカ旅行を終えてマルセイユ経由でパリに入った僕との運命的な出会いであった。

翌日、私はマチルドの母親の家に電話をした。まだフランス語を勉強する気があるのかと聞かれた。私はタクシーに乗ってル・クーデ病院に行った。私はフランス語を学び、それを仕事にするつもりだった。セラピストになるつもりだった。 自閉症児を助けるためにフランス語を学ぶのだ。その日、私にとって言葉の壁は問題ではなかった。患者だけでなく看護師とも親しくなり、子供たちとも話すことができた。私は別室でオブザーバーとして、ある患者(姉妹の長女)とだけ話をした。その姉妹の長女である。マチルドはいい妹だった。マチルドはいい姉だった。いい子だった。 私が病棟で働き始めたときから、彼女が良くなっていくのがわかりました。優しい子でしたが、無口で、あまり話しませんでした。病気のときは本を、うれしいときはおもちゃを欲しがりました。私は彼女に、彼女は家族から愛されていて、その愛情が病気で薄れる心配はないと伝えることができた。彼女は病院でとても幸せだった。彼女は笑い、踊り、人形で遊ぶのが好きだった。普通の子供と同じだった。 数カ月後、彼女は他の病棟に移った。私は、そこで良くなるだろうと思っていたが、そうではなかった。 私は彼女を小児病棟に移す許可を求めた。ダメだと言われました

Photo by lev.gringauz

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