マチルドと初めて会ったのは1985年のパリであった。

マチルドと初めて会ったのは1985年のパリであった。彼女は自閉症を患いつつも、図書館司書として生活の糧を得ていた。すでに両親は他界しており、親しい友人もなく、天涯孤独の身の上であった。彼女のタスクはいかにしてすべての行為を日常化していくか、その一点にあった。あれは5月の薫風が吹くリヨン駅。コルシカ旅行を終えてマルセイユ経由でパリに入った僕との運命的な出会いであった。

当時、彼女にはコンピューターもプリンターもインターネットもファックスも電話もなかった。彼女にインターネットを紹介したのは私が初めてで、電話を紹介したのも私が初めてだった。「なぜインターネットを使ったの?と私は尋ねた。「パリに来たとき、インターネットがなかったから!」。彼女はコンピューターの使い方を知らなかった。タイプするのも遅かった。そこで私は彼女にノートパソコンを持ってきた。彼女はすぐにコンピューターの使い方を覚えた。彼女はまだ電話を恥ずかしがっていた。彼女は電話で話すのが好きではなかった。誰かが電話をかけてくると、彼女は部屋を出てペンと紙を取り出し、番号を書き留めた。何を言われても構わなかった。彼らが彼女の言葉を聞きたければ、聞くことができた。 それ以来、彼女は常に私と一緒にいて、本を読んだり、文章を書いたり、コンピューターを使ったり、さらには科学研究にも参加した。彼女はいつも幸せだった。彼女はとてもとても善良な人で、私がこれまでに会った人の中で最も寛大で、最も繊細な人の一人だった。 マチルドが自閉症と診断されたのは6歳のときだった。診断が下されたとき、彼女は子どもで、その後ティーンエイジャーになった。彼女は若い女性であり、それを理解するのは時としてとても難しい

Photo by IAEA Imagebank

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