「思い悩んでないで、行ってきたらいいよ」1980年夏の京都。

「思い悩んでないで、行ってきたらいいよ」1980年夏の京都。アルバイト先の旅館・祇園「新門荘」の屋上に敷設されたプレハブの従業員宿舎。二段ベッドの下からゲンさんがそう声をかけてきた。僕が見ていたアジビラには「7・××円山野音 三里塚空港廃港 全京都集会」という大きな文字が謄写版で印刷されていた。ベッドの下段でうまそうに「新生」タバコを吸うゲンさんは、元立命館大学の全学共闘会議(全共闘)の活動家だった。大学除籍後どこで何をしてきたのかは分からなかったが、金がなくなるとこの「新門荘」の洗い場に現れた。

「7・×円山昼三里塚空港廃止港オール京都集会」源さんの強い要望で、冊子代は払わなかった。彼の家族は1960年代半ばから祇園に住んでいた。源さんの母親は教師で、父親は京都大学の教師だった。一家は1960年代後半に職を求めて祇園を離れた。高校を卒業した1960年、源さんは祇園の専門学校に入学した。1961年から1968年までそこで働いた。大工の下で働いたり、金属や木製品を販売する会社に勤めたこともあった。専門学校を卒業後、店員として働き始めた。源さんは1964年に専門学校を卒業し、創価学会創立と同時に就職のために京都に移り住んだ。源さんの職歴は特筆すべきものではなかったが、それが彼の人生の方向性を示していた。創価学会の創立者である牧口常三郎に初めて会ったのもその時だった。源さんはこの時、創価学会の職員だった。 「7・××円山公園三里塚空港廃止港湾オール京都集会」源さんは労働運動家だったそうだ。創価学会創立当時は祇園界隈にいて、労働運動に積極的だった。源さんは、高校在学中に入った創価学会松竹会(全国労働会議)という組合に入っていた

Photo by cambodia4kidsorg

この作品の出来はいかがでしたでしょうか。ご判定を投票いただくと幸いです。
 
- 投票結果 -
よい
わるい
お気軽にコメント残して頂ければ、うれしいです。