「思い悩んでないで、行ってきたらいいよ」1980年夏の京都。アルバイト先の旅館・祇園「新門荘」の屋上に敷設されたプレハブの従業員宿舎。二段ベッドの下からゲンさんがそう声をかけてきた。僕が見ていたアジビラには「7・××円山野音 三里塚空港廃港 全京都集会」という大きな文字が謄写版で印刷されていた。ベッドの下段でうまそうに「新生」タバコを吸うゲンさんは、元立命館大学の全学共闘会議(全共闘)の活動家だった。大学除籍後どこで何をしてきたのかは分からなかったが、金がなくなるとこの「新門荘」の洗い場に現れた。
その頃、「こんくらぶ」(オール京都ユニオン)の準備のために、あるグループが京都に到着していた。彼らは、私の「こんくら」の集会にやってきた人たちと同じだった。彼らは日本全国から運動に駆り出されてきたのだ。その時、「遠山乃音三里塚空港廃止港」の旅館の屋上で初めて「こんくら」を見た。「こんくらく」とは、源さんが所属していた団体である。立命館大学を除籍になってから初めて「遠山乃音三里塚空港廃止港」を訪れた。話をしていると、笑顔で「一緒に『こんくらく』に行こうと思ったことがあるんです。私も行きます」と笑顔で言った。 その時、彼は初めて日本に行った。また、このような回りくどい方法で「こんくらぶ」に行くのは2度目だった。私たちはともに40代だった。二人で会うのはこれが二度目だった。源さんは「こんくらぶ」のために闘うことを十二分に厭わなかった。 源さんは今も「こんくらぶ」で活躍している。何人かのメンバーとは仕事を続けているし、「こんくらぶ」の執行部にも加わっている。昨夜の会合も「こんくらぶ」のイベントだった。源さんが「こんくらぶ」の理事になったのは2007年。現在は理事を務めている。 もう新門荘には住んでいない。近所の四国堂というところに住んでいる。子供はいない。