「思い悩んでないで、行ってきたらいいよ」1980年夏の京都。アルバイト先の旅館・祇園「新門荘」の屋上に敷設されたプレハブの従業員宿舎。二段ベッドの下からゲンさんがそう声をかけてきた。僕が見ていたアジビラには「7・××円山野音 三里塚空港廃港 全京都集会」という大きな文字が謄写版で印刷されていた。ベッドの下段でうまそうに「新生」タバコを吸うゲンさんは、元立命館大学の全学共闘会議(全共闘)の活動家だった。大学除籍後どこで何をしてきたのかは分からなかったが、金がなくなるとこの「新門荘」の洗い場に現れた。
「どこで資金不足に陥ったのかはわからない。とても、とても、とても、とても苦労して手に入れたんだ。」 源さんは「祇園」グループの代表であり、「ゑんちぎ〜(新春)大行進」の主催者の一人でもあった。立命館を追放されて間もない1982年のことだった。源さんは、大原文雄という元学生から長い説教を受けることになる。源さんは「金のことは心配するな。行け、そして作れ “と。源さんは大金を持っていたが、私にはお金がなかった。私は数回の訪問と数ドルの仕送りしかできなかった。「心配しないで、とにかく行ってみてください。宿代も食事代も何もかも私が出すから、あとは働いてくれればいい。」 これはとても重要な講義だった。人々は興奮し始めた。しばらくの間、誰もが 「源さんが帰ってくる 」と思っていた。そして、源さんが亡くなったという知らせを聞いた。みんなショックで、考える時間がたくさんあった。「ガンで亡くなったのか?「それとも病気だったのか?「警察は?「源さんは?」 「突然のことだった。お風呂でコレラで死んだ男の子の話みたいだった。私たちは彼を見つけることができなかったが、彼がまだ生きていることは知っていた。翌日、私たちの一人が源さんを探しに出かけ、彼を見つけました。彼はとても具合が悪く、体にはたくさんのあざと切り傷があった。私たちは口移しで治療を始めた