「わたくしはあなたが至尊の位につくのをただ見てみたいだけなのよ。お願い、奕信。母のために皇位を目指してちょうだい」 幼い頃、母はよく自分のもみじのような手を握りしめ、懇願するように言ったものだ。その白い顔はどこまでも真剣で、自分の産んだ皇子が、目指せさえすれば皇位につくことができると本気で信じていた。 愚かな母だと思う。妃嬪ですらない八十一御妻であった母が、名門の令嬢、もしくは皇帝の寵妃を退けて国母になれると本気で思っていたのか。 母は無知で、哀れな女だった。奕信はそんな母を不憫に思いはしても、母のために皇位を目指そうだなんて思わない。父である皇帝が自分の存在を覚えているかさえも怪しいのに。 だから、丁皇后の右腕として権勢を誇る尹貴妃が自分に声をかけてきた時は驚いた。同時に訝った。この女は何を企んでいるのか、と。はたして、その疑りは正しかったといえる。 奕信と向かい合うようにして座る美しい女は、涼しげな目元を伏せて白磁の蓋碗に入った桂花茶に口をつけていた。奕信と目が合うと、にっこりとほほえんでみせる。傍らにはうやうやしく女主を絹団扇であおぐ宦官がひとり。口元を固く引き結んで愛想笑いさえしていないものの、はっと息を呑むような美しい顔をしていた。 美男を侍らせ、優雅にほほえんでいるこの女は、建国以来続く名門尹家の令嬢であり、四年前に貴妃に冊封された寵妃だ。後宮の女主として君臨する皇后の右腕とも評される才女で、母のように美しいだけの女ではない。
尹貴妃の隣にいたのは、旧知の李信の母親だった。李煥浩といい、かつての秦王朝の王妃だった。この年は大飢饉の年だった。以前、秦王朝は秦の始皇帝が治め、魏の中央平原にあった。しかし、秦の始皇帝の死はあまりにも突然だった。秦の始皇帝は、妻の李桓孝皇后に猛毒を盛られたのだ。秦の始皇帝の子孫である文恵帝は、何が起こったのかはっきりと把握することができなかった。現在、秦の始皇帝の地位にいるのは李信だけである。李信の父は文帝の甥であり、母は文帝の妹であった。そのため、文恵帝は秦の皇帝であり、秦は秦と名を変えた。文恵帝が父の跡を継がなかったのは、高齢だったからである。しかし、秦の王朝は秦の時代の秦ほど安定していなかった。現在、秦にはいくつかの勢力がある。その中には、皇族、秦氏、秦氏の親族がいる。李信の母は前皇后李煥浩の娘で、名は李信。そのため、李桓浩の娘には秦の皇后の称号が与えられている。現在の李煥浩皇后は文恵帝の娘である。李信の母は女性である