私は羞恥系小説が好きだ。

私は羞恥系小説が好きだ。読むのも書くのも好きだ。羞恥系小説というのは、女性、特に若い女の子が恥じらう姿に興奮するような、一種のポルノ小説だ。一種の、というのは、その嗜好はもちろん性的なものでありながら、いわゆる本番描写がないのが基本だからだ。少なくとも私は、そうしたものは邪道だと考えている。つまり、興奮の対象はむしろ性的連想であって、もっと言えば、例えば裸を晒さざるを得なくなったりするような羞恥心を抱く状況にある女性の心理にこそが、関心の対象である。

羞恥小説の基本的な構造は、裸の女、裸でさらけ出された女、都会の真ん中、人ごみの中で体を張っている女というアイデアに基づいている。例えば文字通り、彼女は全身裸であり、その上で彼女は街の中で裸の女と見なされ得るということだ。これは、通常の街の概念にはないものですが、恥小説の本質の一部なのです。実際、それはさらけ出されることの恥なのだ。つまり、都市の裸が都市のしるしとして提示されるのではなく、裸が都市のしるしとして提示されるのだ。そしてそれは性生活とは何の関係もないものだが、完全に人間の心理の一部であり、性的興奮の対象として利用されている。 この種の小説の主題は一種の「娼婦」であり、性的快楽の対象にされる売春婦である。そして、彼女が性的快楽の対象にされる理由は、結局のところ、男が街で女とセックスするのが好きなのは、他の男の妻とセックスするためだからである。娼婦は常に、他県から来た男たちの性的快楽の対象なのだ。彼女は彼らの性的ファンタジーの一部であり、彼らはいつも彼女と一緒にいることを喜んでいる。だからこそ、一種の恥辱に基づく売春が可能なのだ。つまり、都会は場所であり、都会は性的興奮の対象なのだ。

Photo by UGArdener

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