「ひゃあっ♡ そこっ……きもち……んんぅう……! あぁぁぁっ♡」 最も膣道で感じる性感帯を執拗に責められ、ついに快楽を口に出し始める少女。 ゴブリンにひと突きされるたび、愛液が激しく分泌され、ジュブ、ジュブと卑猥な音をたてて溢れ出す。 気をよくしたゴブリンは更に腰の動きを激しくし、少女を先に絶頂させてやろうと必死に蜜穴を貪った。 ぴりぴりと少女の頭が痛みだす。淫紋は更に激しく光り出し、少女の思考を蹂躙する。
このようなことは、アメリカでは毎日、いやもっと頻繁に起こっているはずだが、大多数の人はまだあまり深く考えていない。何かが本当に、本当に悪くなっても、たいていの人は単なる異常事故のひとつだと言うだろう。このような報告はおそらくインターネット上に何百とあるが、どれも基本的な前提は同じであるようだ。グーグルで検索しても、最も基本的な前提は同じである。若い女性が自分の住んでいる街の通りを歩いていて、怒りにまかせて見ず知らずの人にナイフで暴力を振るった。彼女は公衆の面前で殺された。 被害者は女性で、見知らぬ男は男性。加害者は男性の可能性が高いが、明らかな殺人事件ではない。被害者は加害者と交際関係になく、加害者は被害者を知らなかったかもしれない。加害者は男性で、他人ではない。 人々はしばしば、この男がレイプ犯なのかどうか尋ねようとも思わない。加害者はセックスのためなら何でもするサイコ野郎だ、と思い込んでしまうのだ。これが、レイプ被害者が常に自分のレイプを非難される理由である。 このパラダイムの問題点は、加害者が赤の他人であることを証明する方法がないことだ。思い込みなのだ。加害者はあなたの夫かもしれないし、親友かもしれないし、父親かもしれないし、祖父かもしれないし、叔父かもしれないし、兄弟かもしれない