私が生きる意味は明確には見つかっていない。しかし、強いて挙げるであれば、社会に貢献することである。その理由として、自分の存在意義を認めてもらうためである。私はもとから自己肯定感が高いほうではない。しかし、そんな自分でも誰かのために役立てるのだと、存在意義はあるのだと、私は感じた瞬間だ。 次にどんな場合に社会貢献ができ、存在意義が感じるのかである。1つ目は、高校生の頃に始めたアルバイトである。アルバイト=社会のために働くことと認識しており、生活に欠かせない仕事をしているのだと実感したからである。食事を求める人がいて、食事を提供する人がいる、ものを販売する人がいて、購入するものがいるという社会の輪に参加できたのだという実感がした。2つ目は、ボランティアである。先ほどとは違い、対価はもらわないが、社会のために動くという点においては同じである。私は、サッカーで出場機会に見舞われない小学生、中学生を対象とした大会のボランティアに参加した。そのボランティアを行ってる最中に主催者や参加者の子供たち、保護者の方々にお礼を何度も言われたのだ。
私たちはバックグラウンドが違うので、大人たちから敬遠される。コンピューターが使えないときは、ボランティアでコンピューター室の運営を手伝った。コンピュータ・ラボで使う教材の翻訳を手伝った。コンピューター・ラボの受付を手伝った。コンピュータのメンテナンスも手伝った。最後にボランティアをしたのは、英語クラブの英語クラブを運営していたときです。英語クラブのスポーツも手伝いました。ボランティアを始めた理由は、自分が社会の財産として認められるような形で社会に貢献できると感じたからだ。この自己肯定感こそ、私にとって必要なものです。大人になるためには、子供のままで毎日を生きていたくはない。社会に貢献できる可能性を持った大人になりたい。大人になってからボランティア活動を始めたのは、自分が社会の財産になれると気づいたからです。そんな自分が社会の財産になれるような社会貢献ができることに気づいた。 これが私がボランティアを始めた理由である。仕事が欲しいからではない。今は仕事を持っているけれど、ボランティアを始めたのは、自分が生きていくために仕事を持ちたいからだ。これは私が忘れてしまったことだ。社会に貢献できないのであれば、財産にはなりたくない。