世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争いくさが起りそうに見える。焼け出された裸馬はだかうまが、夜昼となく、屋敷の周囲まわりを暴あれ廻まわると、それを夜昼となく足軽共あしがるどもが犇ひしめきながら追おっかけているような心持がする。それでいて家のうちは森しんとして静かである。 家には若い母と三つになる子供がいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。床とこの上で草鞋わらじを穿はいて、黒い頭巾ずきんを被かぶって、勝手口から出て行った。その時母の持っていた雪洞ぼんぼりの灯ひが暗い闇やみに細長く射して、生垣いけがきの手前にある古い檜ひのきを照らした。
「遅刻よ」と彼女は言いながら、テーブルから叔父の空の皿を取ろうと屈んだ。「早く来て。ほら、火がついたわよ」。 生け垣の前の松の木のてっぺんで火が燃えている。私は、遠くで馬に乗った3人の男たちが野原を横切って彼らを追っているのを思い浮かべた。野原を横切って彼らを追っている馬に乗った3人の男たちのことを思う。彼らは馬の暗い影に囲まれている。 「彼らはここにいる」と母は主張する。「ここにいるに違いない。来なさい、連れて行ってあげる」。 私たちは松の木に登り、中に入った。家の中には特別なものは何もない。キッチンは四角い部屋で、片側にストーブがあり、反対側には数脚の椅子とテーブルがある。壁は古いタペストリーや刺繍、本で覆われている。中央のテーブルの三方はペーパータオルで覆われている。遠くに馬に乗った3人の男が見え、彼らの顔が月明かりに照らされている。 父はキッチンの冷たい床に横たわる。同時に母がテーブルから乾パンを拾い、口に入れる。母は水道の水を一口飲むと、何も言わずに目を見開き、呼吸を荒くする。私は母が何を言っているのか聞こえない。何かを恐れているのだろう。 「おいで」と母は言う。「来なさい!横になっていてはだめよ」。 叔父は椅子の前に座っていた。