世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争いくさが起りそうに見える。焼け出された裸馬はだかうまが、夜昼となく、屋敷の周囲まわりを暴あれ廻まわると、それを夜昼となく足軽共あしがるどもが犇ひしめきながら追おっかけているような心持がする。それでいて家のうちは森しんとして静かである。 家には若い母と三つになる子供がいる。父はどこかへ行った。父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。床とこの上で草鞋わらじを穿はいて、黒い頭巾ずきんを被かぶって、勝手口から出て行った。その時母の持っていた雪洞ぼんぼりの灯ひが暗い闇やみに細長く射して、生垣いけがきの手前にある古い檜ひのきを照らした。
木はまだそこにあり、ランタンがその上を照らしている。ランタンはゆっくりと燃えている。マッチ箱より少し大きいだけの、とても小さなランプだ。ここに住む若い女性は未亡人だ。彼女はとても年老いた女性で、幼い息子と娘が彼女の世話をしている。小さな男の子はランタンで遊んでいる。私は彼と彼の妹、そして一緒に住んでいる母親を見たことがある。彼らは一緒に遊び、そして寝る。私は彼らが眠っているのを見た。 この3ヶ月間、家の中で聞こえるのは呼吸音だけだった。家の人たちは目を覚ますと、ボロ布を脱いで床に座る。老婦人は小さな犬を飼っていて、犬が目を覚ますと、いろいろな鳴き声がする。いつも叫んだり泣いたりしている。朝早く父が帰ってくるまで、ずっと鳴き続けている。それが唯一、叫び声ではない音なのです」。 初日、母と子どもたちはとてもお腹を空かせていたが、兵士たちが来た夜が過ぎると、もうお腹は空かなくなった。そして母は、食卓に残っていた米をほんの少し口にした。その時、老婆は亡くなった。 父を見つけることはできないそうです