野球部キャプテン
2002年に打率.348、出塁率.426を記録し、大学野球で最も生産性の高い二塁手の一人として活躍したヒューストン大学で、アメリカン・アスレチック・カンファレンスで最も多打を放った打者が、かつてのような成績を残すには長い道のりが必要だ。 しかし、2012年5月にハムストリングを痛め、残りのシーズンを棒に振った。 復帰した2014年はヒューストン大学で67試合に出場し、打率.288、出塁率.362、二塁打10、三塁打4、本塁打14、打点53、OPS.924を記録。 年生ながらベースボール・アメリカ誌とUSAトゥデイ誌のコンセンサス・オール・アメリカン、カレッジ・ベースボール誌のファースト・チーム・オール・アメリカンに選ばれた。大学のトップバッターに贈られるデイビー・オブライエン賞の最終候補3人のうちの1人だった。 また、2010年の2年生時にはオール・カンファレンスに6度選出され、コンセンサス・オール・アメリカンにも選ばれたシニアのジョン・ダンクス一塁手も、この負傷で離脱することになった。