本日は、お忙しい中母てる子の通夜式にご参列いただきまして誠にありがとうございます。私は長男の孝志でございます。本来は父がご挨拶する所ではありますが透析後で体調が優れないので私が父に代わりご挨拶させていただきます。母は昭和18年宮城県で生まれ貧しい家庭で育ったとよく聞かされていました。
「私は1945年に広島で生まれた。母は1993年にガンで亡くなり、私はひとりで成長しなければなりませんでした。母はずっと私に教師になってほしいと願っていました。子供の頃、私は絵を描くのが好きでした。作家になったのは、書くことで自分の経験を他の人と分かち合いたいと思ったからです。 「母の夢は、ただ良い人生を送ることではなく、平和で幸せな人生を送ることでした。母はとても厳格な人で、母の願いは尊重されましたが、あきらめることはありませんでした。母はいつも貧困にあえぐ人々のことを考えていた。母は強い人でした。私も強い人間であり続けます。 私も強い人間であり続けます