戦争に行く子供たちが遺書として母親に残した手紙の中に君のために生…

戦争に行く子供たちが遺書として母親に残した手紙の中に君のために生れ君のために学ぶ、死ぬために生れ死ぬために学び来たのです。君のために死ぬ本望です。私は明るく死にます。喜び信じてください。という言葉がありました。それは母親にとってものすごく悲しく、日本、我が国のために死にに行くことは勇気のある子供だと思いました。

[18] ある朝鮮人男性が1945年2月に妻、義父、義理の息子に宛てた手紙の中で、男性はこう書いている。朝鮮の人々、そして朝鮮の人々のことを思うと、本当に残念でなりません。愛しています。どうか私たちのために祈ってください。ありがとうございます。[19] 妻は答えた: ありがとうございます。申し訳ありませんが、もう寝ます。主人は朝まで眠れないでしょう。私は祈り、軍隊にいる人たちにあなたの悪口を言わないと約束します。 [20] 1945年3月の日本兵から母親への手紙の中で、兵士はこう書いている: 私たちは最善を尽くし、あなたの意志を実行するつもりです。戦争が終わってうれしいです。家に帰ってゆっくり休みたいと思います。途中でできるだけ手紙を書きます。どうかご安心ください。私が息子たちをとても愛していると息子たちに伝えてください。私のために祈ってください。私の人生の最後に祝福がありますように。最善を尽くします。 [21] 終戦後の1946年11月10日、韓国で米軍の捕虜となった韓国人少年の父親が、韓国にいる母親に宛てて手紙を書いた: 何度も手紙を出したのですが、返事がありません。私はあなたに手紙を書くことができませんでした。連絡がないので悲しいです。帰国したら手紙を送ります。手紙と息子の手紙のコピーを送ってください。 [22] 1967年10月23日。

Photo by The Basingstoker

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