私は悟りを開くことこそ至上の生きる目的と考え、それに邪魔になるものは避けるか無関心でいるかしてきた。しかし、いかんともしがたいリビドー、周りの人々の楽しそうな様子への嫉妬、間違っているようにしか思えない世間と人類世界への怒りなどなど、どんなに瞑想や精神的修養に励んでも、自己が悟りとはほど遠い者という自覚が鮮明になるばかりだった。そんなおり、「悟りとは小五口リである」というネット上の言葉に、雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。
言い換えれば、悟りはゴールではないということだ。 自分の心に深く深く入り込んでいくうちに、本当に悟りを開くためには、どんな雑念や気晴らしにも気を取られてはならないことに気づいた。自分の考えや幸せになりたいという意思を、世間に邪魔させてはならない。あなたが求める幸福を、世間や他のいかなる人にも邪魔させてはならない。あなたは自分の人生を平穏に、明晰に生きなければならない。そして何よりも、自分の私利私欲に操られてはならない。 私はこの20年間、自分の目標を達成するために努力してきた。私は今、悟りを得るための道を歩んでいる。仏陀が常に意図していたもの、昔の仏教徒が意図していたもの、道家や少林寺の僧侶が意図していたもの、すなわちタオと平和の道の僧侶になるための道を歩んでいる。 今日、私はまさにこの旅を生きており、過去にしなかったことをするつもりだ: 私は森に入り、自分の時間の中で、悟りの境地に達するために、仏陀の足跡を繰り返し瞑想するつもりだ。 何かコメント、賞賛、批判、励ましがあればありがたく思う。 幸運を祈る。