私は、「時計の時間と心の時間」を読んで、「心の時間」を頭に入れて、「時計の時間」を道具として使うということに同感しました。 理由は、私の考えで心の時間が変わることにずっと疑問を持っていて、理由が知りたかったからです。
私の個人的な考えでは、瞑想をしているときに体外離脱をしていて、その理由は瞑想をしているときに時間について考えているからだと思う。体外離脱して変容状態にあるときは、時間について考えているので直接的には何も見えないが、時間の感覚を通して間接的につながっている。瞑想をしているときは、「時間が過ぎていく…」と考えているけれど、もちろん過ぎていく様子は見えない。自分の心は見えているけれど、何か別のことを考えているように感じる。トランス状態では何も感じないけど、自分が他の人たちと同じ時間にこの空間にいること、そしてその人たちとつながっていることはわかる。瞑想をすればするほど、考えている時間が長くなり、心は(自分には見えない)別の場所にあるようで、考えていない時間が長くなるように思う。 私が考えるのは、全世界との関係における時間だ。時計の時間や、1時間の時間や、1日の時間や、1週間の時間や、1年の時間について考えているのではない。瞑想しているときは、時間がどこで止まっているのか、どこで始まっているのかがわからない。自分の時間や心の状態を考えているのではない。他人の時間、全世界の時間との関係においてのみ、時間を考えている。瞑想しているときは、これから訪れる時間について考えているんだと思う。そして、その時が来るのはとても早い。だから、もし時計が止まってしまったら、私はあっという間に死んでしまうような気がする。