「つ、着いてこないでっ」「…え」「あなたさっきから後ろにいたわよね!

「つ、着いてこないでっ」「…え」「あなたさっきから後ろにいたわよね!?なによっ、ストーカー!?」 怖がりながらも勇気を絞り出すようにして声を上げた。もちろん、演技である。 わたしの言葉を聞いたヤツは、太陽が沈みかけていたから顔色はよく分からなかったが、とにかく唇をわなわなと震わせて「は…」と息を漏らした。それが怒りから来たものなのか、それとも恐れからなのかは分からなかったが、ヤツがこちらに飛びかかるようにして足を地面から蹴り上げたのを見て、自分も身を翻してヤツから逃れるように走った。 いつもなら、わたしに歯向かってくるものは殺すなり喰うなりしていたが、あいにく今は誰かに見られているからそんなことはできない。 仄暗い路地裏を走り抜けていると、ふと(ruby:あの日:、、、)のことが頭に浮かんだ。あの日もこんなふうに逃げていた。もっとも、こんなに余裕を持って走っていたかったし、なによりあの日は雨だったのだが。 道の途中にあったゴミ箱を蹴ってなぎ倒しながら、あの人影は誰なのかしらと再度疑問を抱いた。喰種でないことは匂いから分かっている。シンプルで清潔感のある、ニンゲン特有の甘い匂いがしていたから。 そのニンゲンの姿を確認したいと思って、あえて丁字路を行き止まりの方へ進んだ。絶望したような声色で「あっ」と声を出してみた。決して、わざとらしくないように。

エトの香りと温かい体。そうだ!私はそうなりたかった。そうなりたかった。彼に、いや、誰にでも愛され、慕われたかった。ハンサムな男性に愛されたかった。憧れる人のいないお姫様みたいな気分だった。今こう見えても、私はただの男だった。誰を見ているのかさえわからなかった。ただ、あの日に戻れば、今の自分を受け入れやすくなるのに、と思っていた。でも戻れなかった…。戻りたくなかった。今は違う。戻ったらどうなるのか、想像すらできなかった。全力で逃げ出したかったが、雨はとても激しかった。このまま走ったら、もっと濡れてしまう。ずぶ濡れになって、これ以上濡れたら……。ずぶ濡れになってしまう。走り続けたかったが、できなかった。風が吹いていたので、濡れた服が床に落ちる音が聞こえた。雨でびしょ濡れになったせいかどうかはわからないが、今、私はこんな状態だ。止まりたくなかった。どこかに行きたかったが、行けなかった。ずっと走っていたかったけど、走れなかった。雨はとても強かった。どこかに行きたかったけど、行けなかった。進むしかなかった。足音は大きくなり、雨も止んだ。私は深呼吸をして、ゆっくりと目を開けた

Photo by cliqmo_

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