男性が怖い。

男性が怖い。そう感じたのは私が小学6年生の頃でした。当時、私は個別指導の塾に通っていて、とても親切で教え方が上手な女性の先生が受験勉強を手伝ってくれました。私はその先生が好きだったので、毎日塾に通って先生と話したいと思うことが多々ありました。女性の先生が体調不良などで塾を休むと、別の男性の先生が代わりに指導してくれることがありました。最初はあまり気に留めていませんでしたが、その先生に会うたびに「怖い」感じるようになり、動揺や息切れが止まらなくなりました。その男性の先生は、特に何か悪いことをしていたわけではありません。ただ、その先生の存在そのものが私にとって不安の種となっていました。私はこの先生が嫌いなのかな?その時、私は男性が苦手だという自覚がなく、こんな風に考えていました。しかし数日後、私は無意識に小学校時代の男性教師を避け、できるだけ会話をしないようにしていることに気づきました。その時初めて、男性に対する苦手意識がわかりました。それ以来、私は男性全般に対して距離を置くようになり、男性に対する不信感が募っていきました。男性が怖いことを両親や友人に伝えると変わっている子だと思われるのがすごく嫌で、ずっと自分の心の中に閉じこもるようになりました。

小学校の頃、私が男性教師を避けていたのは、彼らが怖かったからではなく、自分が傷つくのが怖かったからだと気づいたのは、「男性の体に閉じ込められた女性」という考えを得てからだった。 怖さを自覚した後も、多くの人が私の行動は変わらないと言った。彼らは正しかったと思う。私はまだ、自分に何が起こっているのか理解できなかった。自分を助けるために、小学校の男性教師の行動を考えた。彼らが私の恐怖の原因なのか、それとも私が彼らを恐れているのか。私は自分の発見を記事にすることに決め、他の数人にも記事のコピーを送った。しかし、その記事を読んだ後、私は学校の男性教師に私の行動の責任はないと気づいた。それは私の恐怖であり、私の恐怖の原因は、彼らに傷つけられるのではないかという恐怖にあったのだ。 このことに気づくのはとても難しかった。男性教師の怒りを感じた。憎しみを感じた。彼らの悲しみを感じた。恥ずかしさを感じた。彼らの無力さを感じた。戸惑いを感じた。そして、男性教師たちに対するそのような感情がなくなっても、それを手放すのはとても難しかった。 このとき私は、自分が考え、感じていたこれらの感情が、実はすべて心の病であり、自分がこれらの病で非常に長い間苦しんでいたことに気づいた。

Photo by mococouncilmd

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