この論文を読んで、最初に紀貫之が女性として日記を書くことから考え…

この論文を読んで、最初に紀貫之が女性として日記を書くことから考えを巡らせることが印象的でした。高校の日本史で紀貫之について学びましたが、その時は紀貫之の作品と女性として日記を書いたという事実だけを知っていれば十分だと思っていました。しかし、この論文を読むことで、女性仮託が男性官人による女性としての作品作りの不適切な手段であるという考えが覆されることに驚きました。筆者は、女性仮託が読者に対する遊びであるという意見を推しているようにも感じられました。女性であるとされながらも漢文を読み下すという設定は、物語を超えたユーモアのある要素として興味深いと感じました。しかし、女性仮託の必要性はまだ理解できませんでした。土佐日記は高貴な身分の人物ではなく、低い土佐守に焦点を当てている点が異質であると感じました。この作品が和歌や作品の表現に大きな影響を与え、女性的な表現の導入や女性歌人の地位向上に繋がった可能性があると考えられます。

本稿は、後世の日本女性文学と、その時代における文学の捉え方について述べたものである。 本稿は、紀貫之の著作を批評するために書かれたものではない。むしろ、日本史について書かれた人々の視点を覗き見るための一助となれば幸いである。日本史の記述とは、教科書で読む以上のものであることを、うまく示すことができたなら幸いである

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