「心はどこにあると思う?」と聞けば様々な人が脳や胸、はたまた目など色んな体の部位を指す。私自身は意識のことなのだから心は脳にあると考えてはいるが、心が温かくなるや苦しいなどと感じると胸を押えてしまう。このように心は移動可能なもので目には見えないのだ。
心は身体の外にある物体ではない。言い換えれば、物体を見るとき、あなたはその物体しか見ていない。あなたの心も物体ではない。それは、あなたの身体におけるすべての肉体的、精神的プロセスの源なのだ。心を実際に観察できるのは脳だけだ。他の身体の部分は目には見えない。鼻や耳でさえ、脳ほどにはアクセスできない。 「まずは自分の心を外から見てみることだ。そうすれば、身体の物理的なプロセスをより意識できるようになり、自分の心をよりはっきりと見ることができるようになる。心は身体のプロセスの源だ。心臓が鼓動すれば心臓の鼓動があり、呼吸が増えれば呼吸があり、視力がはっきりすれば視力がはっきりする。目に完全に集中すれば、目に心を見ることができる。」 「深い状態にあるとき、自分の心は見えない。深い状態にあるとき、あなたは執着から解放されていますが、どんな形の執着からも解放されているわけではありません。言い換えれば、あなたの心は独立した存在ではない。あなたの心は心の形です。それは髪の毛の形のようなものです」。 「執着にはさまざまな種類がある。ひとつは習慣的な執着。もうひとつは感情的な執着。第三のタイプは中立的な執着です。そして、不健全な愛着には3つのタイプがある。愛着の形とは、習慣とみなすことができるものである