この女性は小犬と言われても、すなわち恵みに値しないものであると言…

この女性は小犬と言われても、すなわち恵みに値しないものであると言われても、それを否定することなく受け入れています。彼女は、本来、人間は神さまの救いの恵みに値しないものであると知っていたのではないかと思います。逆に言えば、お前は小犬であり、救いに値しないと言われて立腹し怒りに燃える人は、自分はそれ相応に価値があるものであり、神さまも当然自分を救うべきだ、あるいはもっと尊重し救って当然だと、無意識であったとしても潜在的にそう考えているのだと思います。さらに言えば、私を助けて下さい、私にはその価値があるはずです。私の願い通りにしないのなら神さまとして失格です信じるに値しません、ということになります。しかし、神さまは人間の希望通りに恵みを与える義務など負っていないのです。たとえ、優れた能力のある人に対してでもです。神さまには人間に忖度する義務はないのです。彼女は、無益なプライドは持たず、冷静に主イエスの言葉は事実そのものであると捉え、主イエスの言葉の中に自分たちに預かることができる恵みを見出そうとしたのだと思います。それがテーブルからこぼれ落ちた恵みのパン屑です。

私が言いたいのは、これは聖霊が語っていると言われているものと同じ種類のものですが、今回はユダヤ人とキリスト教徒の心に語りかけているのです。”自分の目には価値があると思ってはいけません。” イエスは、「私を神として受け入れなければ、あなたは神の憐れみを受けるに値しないし、悲惨な目に遭い、永遠に罰せられることになる」と言っていたのです。だから、永遠に呪われて苦しめられたくないなら、罪人としてイエスのもとに来て、自分の罪を悔い改めなさい」と言っていたのです。”

もしあなたが神に従順であろうとしないのであれば、あなたは悲惨な目に遭い、罰を受け、赦しと救いの恩恵を受けることができないでしょう。しかし、もしあなたがイエスを神として喜んで受け入れ、自分の罪のためにイエスを罪人として受け入れるなら、あなたの永遠の命は祝福され、すべての罪から解放されるのです。

これこそが、私たちの人生に必要な究極の贈り物なのです。究極の贈り物なのです

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