日本人は無宗教かもしれないけど、本当はめちゃめちゃ神を恐れている…

日本人は無宗教かもしれないけど、
本当はめちゃめちゃ神を恐れている敬虔な信者なので、無神教ではないんですよね。 これを話すと、
「私は神なんぞ信じておらぬ」の立場から 「うん、私、神様信じてるわ」って
一転、何の抵抗もなくそう答えます。笑 別に、キリスト教もなんら変わらないんですよ。 ただ、呼び方や信じ方の道筋が違うだけで、
結局、心の中で拠り所にしている
「神」という存在は、どの宗教だろうと、 一神教だろうが多神教だろうが、
真理は同じだな〜と思うんです。 だって、信仰心熱く生きていなくても、
「あ、神様が導いてくださったんだ。」
って思う瞬間って、
一度や二度、誰でもあると思うんですよね。 その「神様」に名前があるかどうかなだけかなー
って思います。

人は誰でも疑う瞬間があります。
私もそうです。     とてもよくあることです。
疑い始めたら、周りを見渡せば、自分が築き上げてきた「神」がある。
疑い始めたら。 疑い始めた瞬間を “doubting “と言います。
“私は真実ではない何かの上にこれを構築した “と思う瞬間です。
真実ではないものの上に宗教を構築したり、真実ではないものの上に自分の宗教的信念を基づかせたりするとき。
疑うようになります。そしてそれは、実際に “疑っている “瞬間なのです。
ただそれだけのことだと思います。
私たちはそういうものだと思います。
その瞬間、私たちは神を疑っているのです。
神の存在を疑っているのです。
自分の信仰を疑っているのです。
それは、私たちが神に疑問を抱いているときです。
自分は正しい道を歩んでいるのだろうかと。
それは、私たちが「疑問」を抱いているときです。
ただそれだけのことです。
そうなんです。
そうなんです。
そうなんです。
だからこそ、”無神論者 “という言葉は、”doubting “から来ているのだと思います。
ただそれだけのことなのです。
それが私たちの姿です。
私たちはただ疑うだけです。

Photo by Felton Davis

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