どのような局面においても「当事者意識」を持って行動することを意識…

どのような局面においても「当事者意識」を持って行動することを意識しました。特にクレーム対応の際には自身の業務遂行能力に負い目や不安はありましたが、前任や販売店様に任せきりにせず、責任を持って最後まで対応をしました。

私は車のディーラーになりたかったのであって、販売員にはなりたくなかった。私は営業マンではなく、顧客になりたかった。ディーラーとして、私は可能な限り最高の条件でクルマを買わなければならなかったが、優秀なセールスマンにはそれができそうにないと感じていた。良い顧客は良いセールスマンになる可能性が高かった。私は自分の気持ちを抑えるために、かなり強い自制心を持っていた。強い個性を持ち、人に良い印象を与えることができなければならないと感じていた。いい営業マンにならなければと。 今、営業マンの従業員として働いてみると、同じように自分を律することがいかに必要でないかがわかる。私は営業マンの従業員ではなく、人間の従業員なのだ。私は営業マンと同じクラスではなく、みんなと同じクラスなのだ。私の仕事はセールスマンになることではなく、車を売ることである。私は優秀なセールスマンになるためではなく、優秀な人間なのだ。私は人と話すのが好きだ。車を売る相手と話さなければならない。 営業マンであることは、人間にとって「忘れる」ことができるものではない。仕事であり、責任のある仕事だ。ミスをしそうになったときは、他人事のようにするよりも「私が責任を取ります」と言ったほうがいいに決まっている。一日の終わりに “確信を持って “言えるのは、それが間違いだったということと、今後はもっとうまくやるように努力するということだけだ。 ミスを犯したなら、その責任は私にある

Photo by OEA – OAS

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