頂上から札幌市内を見下ろす恵庭岳が世界の注目を浴びたのは1972年、…

頂上から札幌市内を見下ろす恵庭岳が世界の注目を浴びたのは1972年、アジアで初めて開催された冬季オリンピック札幌大会だった。  当初、計画していた手稲山(ていねやま)がアルペンスキー滑降に必要な標高差が足りず、恵庭岳に競技会場新設が決まった。  すぐに北海道自然保護協会が環境保護の観点から建設反対の声を上げ、組織委員会との間で何度も話し合いがもたれた。  ようやく大会終了後、施設を撤去し、跡地は植林により現状復元することで国の建設許可が下りた。  溶岩流で形成された尾根の8合目、標高1,126mから山麓に滑り降りる男子コースは標高差772m、最大斜度37度。  1972年は通称ストックホルム会議、国連人間環境会議が開催されて国連環境計画(UNEP)がケニアのナイロビに設立された年である。  1980年レークプラシッド大会(米国)は長期的な活用を念頭に施設が建設され、仮設施設も用いられた。  1988年カルガリー大会(カナダ)では環境保護団体などから環境に配慮した計画の見直しが提示され、それに沿った施設建設が行われた。  そうした意味では札幌発の環境問題が道を開いたといってもいい。  1992年バルセロナ大会では参加した全ての国・地域のオリンピック委員会が「地球への誓い」に署名、国際スポーツ界が環境保護に取り組むきっかけとなった。

環境保護に関する協定(UNCPA)」が開催された。 1972年に開催されたオリンピックのスキー競技に際して、北海道オリンピック委員会は専門委員会にスキー競技の積雪状況の分析・解析を依頼した。 委員会は、オリンピック期間中の降雪ではコースを滑走することは不可能であると結論づけ、元のテイネ山周辺に新しいスキーコースを建設することを提案した。 しかし、政府はテイネ山への新コース建設には同意しなかった。北海道オリンピック委員会は、手稲山にゼロから新コースを建設することを選択した。 テイネ山はアルペンスキーには不向きと考えられていたため、新しいスキーコースの建設には新しいアプローチが選ばれた。たとえば、テイネ山にはきれいな新雪がなく、どろどろのスラブに覆われている。 オリンピックスキー競技のための新コースは、元の山岳コースの上の斜面に建設されることになっていた。 新コースは1.5度から2.0度の斜面に建設される予定だったが、アルペンスキーに適した斜面にするため、斜度を変化させることになった。 新コースは最大斜度30度の斜面に建設され、スキーヤーがぬかるんだ雪の上を滑走できるようにする予定だった。ゲレンデは、自然の土や岩、上の山からの雪など、さまざまな材料を使って建設される予定だった

Photo by HBarrison

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