以前友人から聞いた話だ。

以前友人から聞いた話だ。仮にタカオとする、その友人は、テレビで傷害事件の類が報道されるたびに画面を凝視し、容疑者などの名前を確認する奇癖があった。僕とお酒を飲みに行っても、呑み屋のテレビから流れるニュースを気にするので、「何か、逮捕されるような恐れのある友達でもいるのかい」と酒の席でからかったら、「信じなくても別にいいんだけどね」と言い置いて、小学生6年生の時の体験を話してくれた。長文になるし、前置きも長い。あまり怖くも無いかもしれない。平にご容赦。

しかし、高尾は怖くなかった。自分が見たものを証明しようとも反証しようともしなかった。ただショックを受けていた。小学校でどんなことが起こっているのか、彼は知らなかった。教師は生徒に対して不思議な力を持っていた。クラスメートのタカシは、宿題をするのが怖いと言っていた。先生はたいていの場合、「お兄ちゃんは来るか」というような内容の質問を繰り返し、タカシの手が動くと、先生は「手を見なさい」と言って、弟を部屋の真ん中に立たせてボールを投げさせるのだ。先生が「楽しいから」というのでやったそうだ。ただのゲームだと彼らは言ったが、効果はあった。タカオが聞かされたのはそれだけだった。子どもたちだけが知っている秘密の遊びを先生がやっているということだった。タカオは小学校でマジックを見たことがなかった。 しかし、30代になり、アメリカの高校の校長になったタカオは、マジックを信じるようになった。彼にとってマジックとはゲームである。彼の理論によれば、マジックには2種類ある。最初の魔法は存在しない。すべて偽物だ。 2つ目の魔法は存在する。本物だ。2つ目のマジックは、社会の中で常に私たちの周りで起こっていることです。二つ目のマジックにはオカルトという名前がついている

Photo by cmh2315fl

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