アラブの文字と絵がある。

アラブの文字と絵がある。内装はタイル?大理石?が中心。休憩所のような場所では多数の人がくつろいでいた。人数はとても多い。日本人多め?礼拝堂の入り口前では教徒の女性が3〜4人で座っていた。礼拝堂に入るためには靴を脱ぐ必要がある?礼拝堂内の床はカーペットが敷かれていた。礼拝堂内は中央の奥で司祭と見られる人が結婚式を執り行っていた。長崎さん?が教徒の女性を妻としたようだ。アラブ語で内容は聞き取れなかったが、日本語で「長崎さんは妻として受け入れましたか?」と言っていた。礼拝堂内では北西に向かって土下座の様な姿勢で祈りを捧げる人がいた。正座の姿勢から複数回額を床につけていた。天井は高く、上のフロアは男性の立ち入りが禁止されていた。下のフロアも同様に立ち入り禁止だった。2階ではトルコとの国交の歴史に関する資料が展示されていた。多目的ホールでは歴史に関する話をしていた。オランダが世界にチューリップを売った理由についての解説は興味深かった。(土地の大半が海水面より低く、土壌が塩分を多く含んでいる。そのため農業に適さなかった。)東京ジャーミーが代々木上原の住宅街にある理由・海外で起きたある事件が関係している。今から100年前のモスクワで起きたロシア革命が原因。ロシア正教によりイスラム教が弾圧を受けた。‘宗教はアヘン’シベリアから中国に逃げる→日本逃げた人々が代々木に集まった。

バルが展示されていた。階には、オバマ大統領の来日時の写真や、日本の書籍や新聞が展示されていた。チャペルの正面玄関は1階にあった。礼拝堂はとても広い。礼拝堂に通じるドアは2つある。階へと続く階段がある。礼拝堂に続く石段は2段あるが、とても小さく、取材時にはその先は見えなかった。礼拝堂の床にあった絵のひとつ。壁にはたくさんの絵が飾られていた。長崎さんは白いローブに青い帯。ナガサキ? さんは、礼拝堂に何人の日本人がいるかは知らないし、15人くらいしか日本人がいないように準備したと言っていた。長崎氏の写真 礼拝堂の入り口には、小さな祈祷書がいくつかあった。日蓮宗という宗派の名前もあった。礼拝堂には日本人の男性6人と女性1人がいた。礼拝堂の人数は多かった。椅子もたくさんあった。真ん中にも椅子があった。小さな部屋もたくさんあった。部屋は小さく、真ん中に木のベンチがあった。礼拝堂には木のベッドがたくさんあった。チャペルにいた男たちは、日本の伝統的な制服を着ていた。彼らは日本の靴か靴下を履いていた。

Photo by Chapps.SL

この作品の出来はいかがでしたでしょうか。ご判定を投票いただくと幸いです。
 
- 投票結果 -
よい
わるい
お気軽にコメント残して頂ければ、うれしいです。