中学1年生の夏にに私は祖母をなくした。

中学1年生の夏にに私は祖母をなくした。共働きだった両親にかわって小さい頃から、私や妹の幼稚園の迎えや長期休みには私たちを連れて出掛けに行ったりもしていた。祖母の体調が優れなくなってからは施設に入所したが、施設でも元気に過ごしており私も定期的に会いに行っていた。しかし、突然亡くなった。数日前にあった時は元気だったためあまりにも急のことですぐには受け入れることが出来なかった。

彼女の死は私には奇妙に思えた。彼女はとても活発な人だったからだ。信心深く、正直な両親にも聞いてみたが、祖母が死んだとは思わなかったという。私はひと夏を祖母の墓の前で過ごした。祖母は死んでいなかった。亡くなったのではなかった。生き返らなかっただけで、病気とは関係なかった。祖母の信仰に関係があったのだ。 私は、自分がどうしてうつ病になったのか、どうして自分の心の中に閉じこもってしまったのかを理解することができた。何が悪いのかわからなかった自分がとても恥ずかしく、ただ祖母の病気を忘れ、幸せになることだけに集中しようとした。 しかし、その夏以降、祖母の病気と私自身の病気が繰り返され、私はさらに落ち込み、迷うようになった。両親は助けてくれなかった。相談する気にもなれなかった。祖母に私のために祈ってくれるよう頼んでみた。祖母を理解できなかったし、祖母が私のために祈ることが助けになることも理解できなかった。祈ることの重要性も、祖母のために祈れば私が良くなることも理解できなかった。祈ることが私の助けになるとは信じられなかった。祖母の墓を見るのが恥ずかしかった。気が狂いそうになった

Photo by inoldnews

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