中学1年生の夏にに私は祖母をなくした。

中学1年生の夏にに私は祖母をなくした。共働きだった両親にかわって小さい頃から、私や妹の幼稚園の迎えや長期休みには私たちを連れて出掛けに行ったりもしていた。祖母の体調が優れなくなってからは施設に入所したが、施設でも元気に過ごしており私も定期的に会いに行っていた。しかし、突然亡くなった。数日前にあった時は元気だったためあまりにも急のことですぐには受け入れることが出来なかった。

母が家を出たのは2009年で、乳がんと診断されたのと同じ年だった。当時の母は、7年間文句も言わず働き続けた自分の仕事をとても誇りに思っていた。彼女は一人前になり、夫に依存することもなくなった。彼女はとても強く、自立していた。 私が10歳のとき、母は独立を決意し、私の家の近所で紅茶の店を開いた。近所の人たちに英語を教えるため、そして困っている人たちを助けたいという思いから、彼女はこの近所にやってきたのだ。彼女はいつも親切で優しく、善良な心の持ち主で、私はいつも彼女を尊敬していた。当時、私たちはみんな大恐慌の孤児だった。両親を亡くし、家は狭くて散らかっていた。外出するたびに、政府から支給された食料にとても感謝していました。 母が店を開いたとき、私たちの母校を訪ねて、店の片付けなどを手伝ってくれるよう頼みました。自分でお茶屋をやっていることは誰にも言わなかった。お金を貯めて一生懸命働くことに誇りを感じていたのだと思います。そうやって一人で二人の子供を育ててきた。いつも働いていたし、子どもたちを学校に通わせていたことも知っている。 母は、私が小さい頃からいつもとても優しかった。でも、私が自分の意見を主張するようになると、母は私にとても優しくしてくれた。

Photo by Josh Rokman – AI Images

この作品の出来はいかがでしたでしょうか。ご判定を投票いただくと幸いです。
 
- 投票結果 -
よい
わるい
お気軽にコメント残して頂ければ、うれしいです。