私は幼い頃から口が悪く、友達を傷つけてしまうことが多々ありました。

私は幼い頃から口が悪く、友達を傷つけてしまうことが多々ありました。傷つける度友達は「大丈夫だよ」と言ってくれましたが、そんな優しさが申し訳なくなり、私は「傷つけてばかりじゃだめだ!」と意気込みました。発言をすぐに治すのは難しいと考えた私は文字を綴るSNS上だけでも気をつけようと思い、日本語は間違っていないか、これで本当にいいのか、と確認してから送信ボタンを押すようにすることを心がけています。高校二年生のある日、中学生の頃の友達に「こういうことがあったんだけど、どうしたらいいと思う?」とSNSで相談を受けました。私はその時良かれと思い、友達が求めていないお節介、「こうするべきだと思うよ」「こうした方がいいよ」と言ってしまい友達を不快な気持ちにさせてしまったことがあります。その時私がするべきだったことはお節介を言うことではなく、ただ話を聞くことだと後になって気づきました。その日を境に私は言葉の大切さ、価値観の違いについて考え直すようになりました。

友人が私の言うことを心配し、心配していることは理解できたからだ。しかし、私は自分の考えや行動が誠実でないことにも気づいた。誠実であるときにどう行動するかではなく、誠実でないときにどう行動するかだ。そこで私は、自分がそのように振る舞っていたことに気づき、友人にそのように振る舞っていたことを謝った。彼女が動揺していると思ったから、彼女を癒したいと思ったから。それが正しいことだと思ったからそうした。でもそれは正しいことではなく、私がすべきことは話を聞くことではなく、謝ることだったと後で気づいた。だから私は友人に謝った。それが正しいことだと思ったから。でも後になって、私がすべきことは真実を話すことだったと気づいた。だから私は真実を話した。真実は、私がしたことは間違っていたということです。正しいことと間違っていることは違う。ごめんなさい. ごめんなさい. 何が正しくて、何が間違っているかは違います

Photo by Frits Ahlefeldt

この作品の出来はいかがでしたでしょうか。ご判定を投票いただくと幸いです。
 
- 投票結果 -
よい
わるい
お気軽にコメント残して頂ければ、うれしいです。