私は幼い頃から口が悪く、友達を傷つけてしまうことが多々ありました。

私は幼い頃から口が悪く、友達を傷つけてしまうことが多々ありました。傷つける度友達は「大丈夫だよ」と言ってくれましたが、そんな優しさが申し訳なくなり、私は「傷つけてばかりじゃだめだ!」と意気込みました。発言をすぐに治すのは難しいと考えた私は文字を綴るSNS上だけでも気をつけようと思い、日本語は間違っていないか、これで本当にいいのか、と確認してから送信ボタンを押すようにすることを心がけています。高校二年生のある日、中学生の頃の友達に「こういうことがあったんだけど、どうしたらいいと思う?」とSNSで相談を受けました。私はその時良かれと思い、友達が求めていないお節介、「こうするべきだと思うよ」「こうした方がいいよ」と言ってしまい友達を不快な気持ちにさせてしまったことがあります。その時私がするべきだったことはお節介を言うことではなく、ただ話を聞くことだと後になって気づきました。

私は、ソーシャルメディアは人々の生活において強力なツールであり、他人とうまくやっていくための素晴らしいツールになりうると信じている。しかし、それを使う人のせいで、時には悪いツールになることもある。ソーシャルメディアを自分の意見、考え、意見を共有する場所のように使っている人は批判されるだろう。ソーシャルメディアを自分の業績や功績を誇示する場所のように使えば、その人は批判されるだろう。もし、ある人がソーシャルメディアを怒りやフラストレーションを発散する場所のように使えば、その人は批判されるだろう。ソーシャルメディアを、他人がミスをしたときにバカにし、他人が素晴らしいことをしたときにバカにする場所のように使っている人は、批判されるだろう。 私が最近経験したことは、ソーシャルメディアを自己啓発のために使わない理由である。なぜなら、自分に忠実であることが重要であり、過去の自分になりきらないことが重要だと思うからだ。私には変えたいことと変えたくないことがたくさんあることに気づいた。そのせいで腹を立てている自分に気づいた。他人のしたことをバカにしている自分に気づいた。他人がしたことを批判し、その人がしたことをあまり評価していない自分に気づいた。人は私に意地悪で、私はそれを守らなければならない。

Photo by Asamblea Nacional del Ecuador

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